佐賀地方裁判所 昭和58年(ワ)151号 判決 1985年7月16日
原告
田中光明
ほか三名
被告
原千恵美
ほか三名
主文
1 被告原千恵美は、原告田中光明に対し金六三二〇万九八二一円、原告田中勇二郎、同田中ユミに対し各金三〇〇万円、原告田中正和に対し金二〇〇万円、および右各金額に対する昭和五二年一二月一九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告らの被告原千恵美に対するその余の請求およびその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、原告らと被告原千恵美との間に生じたものはこれを二分し、その一を原告らの負担、その余は同被告の負担とし、原告らとその余の被告らとの間に生じたものは全て原告らの負担とする。
4 この判決の原告ら勝訴部分は、原告田中光明において金二〇〇〇万円、その余の原告らにおいて各金一〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
一 当事者の申立
1 原告ら
「被告らは各自、原告田中光明に対し金一億二三九一万五八四三円、原告田中勇二郎、同田中ユミ、同田中正和に対し各金五〇〇万円、および右各金額に対する昭和五七年一二月一九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行宣言を求める。
2 被告ら
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。
二 当事者の主張
(請求原因)
1 交通事故の発生
(1) 日時 昭和五七年一二月一九日午前四時二三分ころ
(2) 場所 佐賀市兵庫町大字藤の木三八六番地 株式会社電修舎九州支店前道路上
(3) 車両 普通乗用自動車(以下A車という)被告原千恵美運転普通乗用自動車(タクシー、以下B車という)訴外古賀成之運転
(4) 態様 原告田中光明は、昭和五七年一二月一九日午前四時ごろまで訴外岡本幸次郎とともに飲酒してB車(タクシー)で事故現場に至り、B車を停車させ料金の支払いを済ませて下車した後、B車後部座席に泥酔横臥中の右岡本を降車させようとしていたところ、後方から進行してきたA車がB車後部に激突してB車を約一七メートル前方に飛ばし、原告光明はA車の下敷きとなり次の傷害を負つた。
(5) 傷害 原告は、右事故により頭部外傷、脳挫傷、背部、腰部第Ⅲ度熱傷兼壊死等の傷害を負つた。
2 治療状況
原告光明は、右傷害を受け、直ちに藤川病院に運び込まれたが、意識レベルは深昏睡、心呼吸は停止の状態であり、もはや絶望と思われたが、人工呼吸器による蘇生術等医師の懸命の措置により奇跡的に生命をとりとめた。しかしその後も数回にわたり心停止に陥り、また高度の脳浮腫が出現するなど幾度か危機に襲われたが、同人の強靱な生命力は、医師、看護婦、近親者らの必死の治療、看護ともあいまつてかろうじてこれを克服した。そして昭和五七年一二月二九日原告光明は肺炎を併発し咯痰による気道閉塞による窒息を避けるため気管切開、呼吸管装着手術が施行され、以後同原告は呼吸管により呼吸していたが、のちに昭和五八年一〇月気管縫合手術を受けている。またA車マフラーの熱による同原告背部の第Ⅲ度熱傷は背部肋骨にまで及ぶもので、その改善は極めて不良であつたが昭和五八年四月に三度にわたる植皮術により徐々に改善しつつある。このようにして同原告は、生命はとりとめたものの、現在、意識は混濁し、四肢は麻痺したままで、自力体位変換、自力移動、自力摂食いずれも全く不可能であつて、完全な植物状態である。そして現在なお、敗血症、肺炎等の併発など生命の危険もあり、将来右の植物状態が好転する可能性はなく、社会復帰は著しく困難であり、生存中は常に介護を要する状態が続くと考えられる。なお原告光明は昭和五九年六月三〇日症状固定となり、その後遺障害は自賠法施行令別表第一級に当る。
3 被告らの責任原因
(1) 被告原千恵美
被告千恵美は、瀬川信二が株式会社佐賀マツダから所有権留保付で買い受けたA車を右瀬川から買い受けてその使用に供していたものである。よつて同被告はA車の運行供用者である。また同被告はA車を運転して道路左端に停車中のB車の右側方を通過するに際し、前方の安全を確認せず進路に対向車はないものと軽信して漫然時速約四〇キロメートルの速度で進行した過失により、反対方向から進行してくる車両に危険を感じてあわててハンドルを左に切るとともに急制動したが間に合わず、自車前部をB車の後部に衝突させたものである。
よつて同被告は、第一次的には自賠法三条に基づき、第二次的には民法七〇九条により、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
(2) 被告原勇、同原カヅ子
右両名は被告千恵美の父母であり、本件事故当時一九歳であつた被告千恵美の共同親権者であり監督義務者であつた。被告千恵美は、高校三年生のころからデイスコに入り浸りとなり、深夜帰宅、家出、外泊、不良交遊などをくり返えしていたが、高校卒業後は幾度か就職したがいずれも長続きせず、放縦な生活をし、卒業後約一年の間に道交法違反四回を犯していた。そこで両親である被告勇、同カヅ子は被告千恵美の右のような行状を知悉しており、同被告が自動車に強い興味を示しており、一般に未成年者による交通事故が多発していることから、同被告が交通事故を惹起するに至ることは十分に予見できたのであるから、両親として同被告の生活全般に対する指導を怠らず、可能なかぎりその直接の監督下に置いて、自動車運転から遠ざけ、万一運転する場合には交通法規に従つて運転し、他人に危害を加えないよう厳重に監督する義務があるのに、これを怠り、同被告の運転免許取得費用を支弁し、さらには同被告に自動車を買い与え、のみならず昭和五六年一二月には同被告が家を出てアパートに単身居住することまで認めてそのなすがままに放任し、右監督義務および監督する機会を自ら放棄したものであり、その結果同被告が本件事故を惹起したものである。したがつて被告勇、同カヅ子の右監督義務の懈怠と本件事故との間に相当因果関係がある。よつて右被告両名は民法七〇九条により本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
(3) 被告株式会社相互タクシー(以後被告会社という)。
被告会社は、B車を自己の旅客運送事業の用に供していたものであるから、B車の運行供用者である。原告光明はB車が停車後、下車して後部座席の岡本を降車させようとしたときの事故であるから、これはB車の運行によつて生じたものである。
また、原告光明がB車に乗車したときに、同原告と被告会社との間に旅客運送契約が成立し、以後被告会社は同原告の運送に関し、同原告に一切の人的、物的損害を及ぼさないよう注意を尽すべき義務を負う。被告の履行補助者であるB車の運転手の古賀は、まだ暗闇の冬期、早朝にB車を停車させる場合、後方から進行してくる車両のあることを十分考慮して見通しのよい場所に停車させ、かつ、後部座席に泥酔横臥している岡本を降車させようとしていた原告光明のため、後方の安全を十分確認し、後方から進行してくる車両に危険を感じた場合直ちにこれを原告に告知して避難させ、もつて同原告の損害を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、見通しの悪いカーブにB車を停車させたうえ、後方の安全を確認することなく、漫然前方を向いていた過失により、本件事故を発生させ、同原告に重大な損害を与えたものである。またB車の停車位置は道路交通法四四条二号で禁止されている交差点の側端から五メートル以内であつた。
よつて被告会社は、第一次的には自賠法三条により、第二次的には商法五九〇条により、第三次的には民法七一五条により、本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
4 原告らの損害
(1) 原告光明の損害(昭和五九年一〇月三一日現在)
(イ) 治療費 二二万二六一四円
現在まで全額社会保険による給付を受けているが、保険外治療関係費二二万二六一四円を要した。
(ロ) 特別室使用料 九三万五〇〇〇円
原告光明は、入院以来集中治療室(ICU)に収容されているが、その使用料は、昭和五八年四月三〇日まで一日四〇〇〇円(一三三日)、同年五月一日以降は一日一〇〇〇円(四〇三日)である。
4,000円×133日=532,000円
1,000円×403日=403,000円
(ハ) 付添看護費 五四九万八一九六円
原告光明は、床ずれ、肺炎、神経圧迫による傷害等を防止するため、二時間おきに体位変換をする必要があり、同原告の体重が重いことや気管が切開されていたこともあつて、昭和五八年一一月三〇日までは二名(職業付添人一名、近親者一名)の付添看護を要し、同年一二月一日以降は一名(近親者)による付添看護を実施している。
(a) 職業付添人報酬(付添日数三六二日)
二九〇万二一九六円
(b) 近親者付添費(付添日数六四九日、一日四〇〇〇円) 二五九万六〇〇〇円
(ニ) 将来の介護料 三四三五万九六四〇円
原告光明の植物状態は将来改善される可能性はなく、生涯にわたり介護を要する。平均余命四六年、新ホフマン係数二三・五三四、一日四〇〇〇円
4,000円×365日×23.534=34,359,640円
(ホ) 入院雑費 六八万三〇〇〇円
一日一〇〇〇円、六八三日
(ヘ) 将来の入院雑費 八五八万九九一〇円
平均余命四六年、新ホフマン係数二三・五三四
1,000円×365日×23.534=8,589,910円
(ト) 医師等への謝礼 八万八八六八円
(チ) 禁治産宣告申立費用 三万二七五〇円
(リ) 休業損害 三八四万九四〇八円
年収二五六万六二七二円、休業期間一八か月
2,566,272円÷12×18=3,849,408円
(ヌ) 逸失利益 七〇四八万四三六四円
年齢別平均給与月額(二九歳)二八万〇一〇〇円、労働能力喪失率一〇〇パーセント、就労可能年数三八年、新ホフマン係数二〇・九七
280,100円×12×20.97=70,484,364円
(ル) 慰謝料 二三〇〇万円
(ヲ) 弁護士費用 八〇〇万円
(ワ) 損害の填補 二六一八万七二五八円
(a) 被告原勇とその家族から 七七万〇六〇五円
(b) A車自賠責保険 二一二〇万円
(c) 社会保険 二五三万九六五三円
(d) 自動車事故対策センター 一六七万七〇〇〇円
(カ) 損害額合計 一億二九五五万六四九二円
(2) 原告勇二郎、同ユミ、同正和の損害
原告勇二郎、同ユミは原告光明の両親、原告正和はその兄であるが、子であり弟である原告光明が本件事故により植物状態となり今後改善の見込みはないというのであるから、その被つた精神的苦痛は同原告の生命が侵害された場合に比肩すべきものであり、これに対する慰謝料は、原告勇二郎、同ユミ、同正和につき各五〇〇万円が相当である。
5 よつて、被告ら各自に対し、原告光明は損害金一億二九五五万六四九二円のうち金一億二三九一万五八四三円、原告勇二郎、同ユミ、同正和は金五〇〇万円および以上の各請求金額に対する本件事故の日である昭和五七年一二月一九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(請求原因に対する被告らの答弁)
1 被告原千恵美、同原勇、同原カヅ子
請求原因1項は(5)の事実は不知、その余の事実は認める。同2項は不知。同3項は、(1)を争い、(2)のうち身分関係のみ認め、その余は争い、(3)は不知。同4項は不知。
2 被告会社
(1) 請求原因1項のうち(1)、(2)、(3)の事実を認め、(4)のうちB車が停車中、A車がB車後部に激突しB車を約一七メートル前方に飛ばし、原告光明がA車の下敷きとなり瀕死の重傷を負つたことは認めるがその余は不知。(5)は不知。同2項は不知。同3項(3)のうち被告会社がB車の運行供用者であること、原告光明と被告会社間に旅客運送契約が成立したこと、以後被告会社が同原告の運送に関し同原告に人的、物的損害を及ぼさないように注意を尽すべき義務を負つたこと、運転手古賀が被告会社の使用人であり、B車の運転者として被告会社の旅客運送業に従事していた履行補助者であつたこと、はいずれも認め、その余はすべて争う。同4項は全て不知。
(被告会社の抗弁)
本件事故は、B車が道路左側端に停車中にA車がB車の後部に追突したもので、A車の一方的過失によるものである。したがつて被告会社および運転者古賀はB車の運行に関し注意を怠らなかつたし、B車に構造上の欠陥または機能に障害はなかつた。よつて被告会社には原告主張のような責任はない。
三 証拠関係
本件記録中の証拠関係目録記載のとおりである。
理由
一 次の交通事故が発生したことは当事者間に争いがない。
(1) 日時 昭和五七年一二月一九日午前四時二三分ころ
(2) 場所 佐賀市兵庫町大字藤の木三八六番 株式会社電修舎九州支店前道路上
(3) 車両 A車(普通乗用自動車、被告原千恵美運転)
B車(普通乗用自動車、古賀成之運転)
(4) 態様 B車が停車中、A車がB車後部に激突し、B車を約一七メートル前方に飛ばし、原告光明がA車の下敷きとなり、瀕死の重傷を負つた。
二 成立に争いのない乙ロ第二ないし第九号証、第一七、第一八、第二一、第二二号証、証人古賀成之の証言によれば、本件事故の態様は次のとおりであつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
1 本件事故現場は別紙図面記載のとおりである。当該道路は幅員約五・二メートルの歩車道の区別のないアスフアルト道路であり、付近に照明設備はなく、夜間は暗いところである。見通しは、電修舎九州営業所前で別紙図面のとおりやや屈曲しており、右電修舎の建物やブロツク塀などで、やや悪くなつている。右道路はいわゆる通勤道路で朝夕の交通量は多いが、夜間は少ないところである。そして右道路には佐賀県公安委員会により最高時速四〇キロメートル、駐車禁止の交通規制がなされ、その標識、標示ともに視認性に問題はなかつた。
2 事故当時、古賀成之は、B車(タクシー)に客として原告光明と岡本幸次郎とを乗せて本件道路を東方に向けて進行し、右原告らの指示により本件現場の別紙図面表示の点(以下別紙図面表示の各地点はその符号によりたんに「点」、「<ア>点」のように略称する)に停車した。そして原告光明は下車して料金を支払つたのち、車の北側に立つて車の屋根に左手をつき、右手で後部座席に泥酔して寝込んでいた前記岡本を降ろそうとしていたところ、右道路を東進してきたA車が<×>1点付近でB車後部に衝突し、次いで<×>2点付近で原告光明に衝突転倒させ、B車を右岡本を乗せたまま約一二・八メートル前方の点まで押し出し、A車は原告光明を下敷にしたまま<5>点に停車した。
3 被告千恵美は、A車を運転して右道路を時速四、五十キロメートルの速度で東方に向けて進行して本件現場にさしかかり、<1>点まできたとき点に停車中のB車を発見したので、その右側を通過しようと考えた。そのとき現場はゆるい左カーブになつており、対向車の有無等の状況はよく見えなかつたが、当時は午前四時半ころで交通量が少なかつたため、対向車もないだろうと考え、そのまま道路右側に出てB車の右側を通過しようとして<2>点まできたとき、対向車が前方約三一・二メートルの<甲>点に進行してくるのを発見し、このままでは正面衝突する危険があつたので、急いでハンドルを左に切り急ブレーキを踏んだが、前記のとおり<3>点でB車に、次いで<4>点で原告光明に順次衝突した。衝突後被告千恵美は、原告光明が自車の下敷きになつているのを見つけたが、大けがしているか死んでいるかもしれないと思い、恐しくなり、警察への通報や救護措置を講ずることなく、車を置いたまま友人方に逃げ込んでいたが、同日午後三時二〇分ごろ捜査官に発見逮捕された。
4 原告光明は、衝突音を聞いて出てきた近所の者や通りがかりのタクシー等からの通報により、かけつけた救急車によつて佐賀市内の藤川病院に運び込まれた。
三 成立に争いのない甲第三号証の一ないし五、第四号証の一ないし四、第一五、第一六号証によれば、原告の受傷の部位、程度、治療状況は次のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。
1 原告は、本件事故により直ちに藤川病院に運び込まれ、現在まで同病院に入院中である。
2 右病院に運び込まれた時の原告光明の状態は、意識レベルは深昏睡の状態で、瞳孔散大、心呼吸停止の状態であり、人工呼吸による蘇生術を施行したが数回にわたり心停止が出現し、血圧も極めて不安定で、CTスキヤンで脳浮腫が高度に認められ、カルジオスコープ装着、酸素テントで経過観察がなされたが、全身状態不良で意識の改善悪く、同年一二月二八日ごろから発熱が出現し、胸部写真で右上肺野の陰影が高度となり同月二九日気管切開し、体位変換を十分行ない肺炎を予防した。また、事故時A車のマフラーによる背部の第Ⅲ度熱傷(背部肋骨にまで及ぶ)の改善は極めて不良であつたが、昭和五八年四月に三回に及ぶ植皮術が行なわれ、化膿防止のため抗生物質を使用し、膚皮形成の改善も徐々に好転した。同年六月六日急性気管支炎を併発し喀痰排出困難のため気管内吸引が施行された。また四肢拘縮のため軽度のリハビリが必要となり同年五月二六日からマツサージが開始された。同原告は、重度の意識障害があり、自力移動は全く不可能、体位変換も自力では不可能、四肢ともに関節の拘縮と筋の萎縮が認められ、自力摂食は全く不可能、そしやく、下も不可能のため経管栄養が必要、屎尿は失禁状態、眼球運動はあるが物を追うことはなく、開眼、瞬目はあるが認識はできない、ただし睡眠は認められる、気管切開しカニユーレ挿入のため発声は不可能、命令には応じない、意思の疎通は不可能、の状態で、いわゆる植物状態である。
3 昭和五九年一一月二二日現在、病名は頭部外傷(気管切開)、脳挫傷(脳幹部出血)、四肢関節拘縮、外傷性胃潰瘍、便秘症、陰のう糜爛、とされ、行なわれている治療は、意識障害著明、下不能のため鼻腔よりの栄養補給、注射、投薬、四肢拘縮に対する理学療法、尿意がないためカテーテル留置し、膀胱洗浄、諸検査等対症療法である。そして生命を維持するためには右の如き治療を必要とするため入院を要し、その期間は生涯にわたると考えられ、また植物状態であるため、排尿、排便、褥瘡予防のため体位変換を必要とするため常時介護の必要があり、その期間もまた生涯に及ぶと考えられている。
四 被告原千恵美の責任については原告と同被告との間に争いがなく、同被告は本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
五 そこで被告原勇、同原カヅ子の責任について判断する。まず、被告千恵美が事故当時一九歳であり、被告原勇、同原カヅ子が右被告千恵美の両親で、その共同親権者であることは、右両被告と原告との間に争いがない。原告は、被告原勇、同原カヅ子両名に被告千恵美に対する監督義務の懈怠があつたと主張する。成立に争いのない乙ロ第二、第一三ないし第一六、第二〇ないし第二二号証によれば次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
1 被告千恵美は、被告勇、同カヅ子間の二女として出生し、以後右被告らの許で監護養育され、昭和五六年三月高校卒業後就職し、事故当時一九歳と一〇か月余であつた。被告千恵美は、高校卒業後佐賀市内の商店に就職したが、長続きせず、店を転々と変わり、後ではスナツクで働いた後、昭和五七年一一月ごろからは特殊浴場で働くようになつた。また同被告は高校三年のころからデイスコに行くようになり、就職後もデイスコに熱中して深夜に帰宅することがあり、父勇から度々注意されたがやめられず、互いに意見が合わなくなり、家に帰つても面白くなく、父は反対したが母カヅ子と相談して昭和五六年一二月ごろ佐賀市内のアパートを借りてひとりで生活するようになつた。しかし同女が真面目に仕事をしていないことを知り、母カヅ子が昭和五七年一〇月ごろアパートに来て被告千恵美を家に連れ戻そうとしたが、同女はこれに従わず、両親の目を逃れて友人や知人宅などに泊り、その後両親との連絡を絶つたため、両親はその行方を探しまわつたが見つからず、同年一一月一日警察に捜索願を出した。しかしその行方を探し出すことはできなかつた。
2 被告千恵美は、昭和五六年五月自動車の運転免許を取り、その費用は両親が負担し、通勤用にと自動車を買い与えたがそれはあまり使用せず、昭和五七年一二月初めごろ知人から普通乗用自動車一台を代金四五万円で買い受けて乗つていたが、これが本件A車である。被告千恵美は本件事故前に四回の道交法違反でつかまつたことがあるが、それは昭和五六年七月ごろ原付自転車の二人乗りと昭和五七年二月までの間に三回初心者マークをつけていなかつたことによるものである。
ところで、責任能力ある未成年者(被告千恵美は当時一九歳一〇か月余であつて責任能力のあることは明らかである)の監督義務者については民法七一四条による責任は認められないが、監督上の義務違反と未成年者の不法行為によつて生じた損害の発生との間に相当因果関係がある場合は右監督義務者も民法七〇九条に基づき損害賠償責任を負うものと解すべきである。しかし右義務違反と損害の発生との間に相当因果関係を認めるためには、監督義務者が相当の監督をすれば加害行為の発生が防止できたこと、その監督を現実になしえたこと、監督せずに放任しておけば加害行為の発生する蓋然性が高いこと、などの要件を充足する必要がある、と解するのが相当である。そこで本件についてみると、前記認定事実のうち1の被告千恵美が高校卒業後放縦な生活態度であつた事実は本件交通事故と直接の結びつきが認めがたく、仮に被告勇、同カヅ子にこれを放任していた事実があつたとしても、これにより本件交通事故の発生の高度の蓋然性が生じたとは認めがたい。また前記認定の2の事実のうち、右被告両名が被告千恵美の運転免許取得費用を負担し、自動車を買い与えていたこと、同被告を夜間の自動車運転から遠ざけるよう監督指導しなかつたことについては、同被告は高校卒業後就職して社会人となつており、一般に広く自動車が普及し、通勤やレジヤー等に使用されていることは公知の事実であり、夜間運転により交通事故の発生の蓋然性がとくに高くなるともいえないことなどからすれば、とくに同女が無免許で運転技術が未熟であるとか、夜間に暴走等の無謀運転をするとか、当然に交通事故の発生の高度の蓋然性が予測されるような特段の事情がないかぎり(同女の交通違反は単車の二人乗りとか初心者マークをつけていなかつたとかであつて、とくに交通事故の発生を予測させるようなものではなかつた)、同女の自動車運転を制止すべき監督義務はないといわなければならない。他に本件交通事故と相当因果関係ある監督義務違反のあつたことを認めるに足る証拠はない。よつて右義務違反に基づく被告勇、同カヅ子に対する請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。
五 次に被告会社の責任について。前記二項で認定した本件事故の態様からすると、本件事故の原因は専らA車の運転者被告千恵美の過失によるものであることが明らかである。原告らはB車の運転者古賀にも(1)後方から進行してくる車両のための見通しのよい場所に停車すべき注意義務、(2)他の交通の妨害とならないような方法で停車すべき義務(道路交通法四七条一項、三項)、(3)交差点の側端から五メートル以内の部分に停車してはならない義務(同法四四条二号)、(4)後方の安全を確認し、後方から進行してくる車両に危険を感じた場合直ちにこれを原告に告知して避難させるべき注意義務、の各違反があつたと主張する。しかし(1)については、本件停車位置はゆるいカーブした道路が直線に移行する部分の道路左端であつて、とくに後続車の見通しを著しく妨げる位置ではなく、その右側を通過するにあたつて前方の安全の確認がとくに困難となるような場所でもなく、原告主張のような注意義務違反があつたとは考えられない。また(2)、(3)の義務は主として他の交通の円滑を阻害しないように定められた規定であり、別紙図面のとおりT字路の端から五メートル以内の位置に停車していることがうかがわれるが、当時A車もB車も右T字路のうち直線道路を通行していたもので、交差道路からの車両は認められなかつたから、右の違反と本件事故との間には因果関係は認められない。また(4)については、本件の場合A車は道路右側に出てB車の右側を通過しようとしていたが、対向車を認めて突然わずか一〇メートル足らずの位置からハンドルを左に切つてB車に衝突しているのであるから、そのような事態を事前に予測することは不可能であり、かりにハンドルを左に切つた時点で危険を感じたとしてもこれを原告光明に知らせる余裕もなく、原告がこれを避けることは不可能であつたといわざるをえず、仮に原告主張の(4)のような注意義務違反があつたとしても本件事故との因果関係はないといわざるをえない。他にB車の運行につき本件事故の原因となるような不適切な点をうかがわせるようなものはなく、右古賀はB車の運行について注意を怠らなかつたものと認めざるをえない。そして証人古賀成之の証言によればB車には当時構造上の欠陥や機能上の障害もなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。したがつて仮に本件事故がB車の運行によつて生じたものであるとしても、自賠法三条、商法五九〇条一項、民法七〇九条のいずれによる責任も負わないというほかはない。よつて原告らの被告会社に対する請求は理由がない。
六 そこで損害額について検討する。
1 治療費について。成立に争いのない甲第七号証、第一七号証の一ないし一三によれば保険外治療関係費として二二万二六一四円を要し、同額の損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
2 特別室使用料について。成立に争いのない甲第一八号証によれば原告主張どおり特別室使用料として九三万五〇〇〇円を要し同額の損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
3 付添看護費について。成立に争いのない甲第九号証、第一九号証の一ないし二一、原告本人田中正和の供述により成立の認められる甲第一一号証の一ないし一六および弁論の全趣旨によれば、原告光明は前記認定の重篤な症状のため少くとも昭和五八年一一月三〇日までは付添人二名(一名は職業付添人、一名は近親者)による付添看護を要し、その後は近親者一名の付添看護を要したことが認められ、そのうち職業付添人に対する報酬等の額は合計二九〇万二一九六円であることが認められる。そして前記認定の症状の程度等からすれば、近親者の付添は一日あたり四〇〇〇円と評価するのが相当であり、昭和五九年一〇月三一日までに少くとも六四九日間付添いし、その額は合計二五九万六〇〇〇円となる。以上の認定を覆すに足る証拠はない。
4 入院雑費について。前記認定のとおり原告光明は現在まで入院を余儀なくされているところ、前記傷害の部位程度、治療状況からすれば経験則上少くとも一日一〇〇〇円程度の雑費を要するものと認められるから、その額は昭和五九年一〇月三一日まで六八三日間の分は六八万三〇〇〇円となり、右認定を覆すに足る証拠はない。
5 医師等への謝礼について。成立に争いのない甲第二一号証によれば医師等への謝礼として合計八万八八六八円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
6 禁治産宣告申立費用について。原告本人田中正和の供述およびこれによつて成立の認められる甲第一三号証によれば、原告光明の禁治産宣告に伴う費用として合計三万二五一〇円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
7 休業損害について。成立に争いのない甲第一四、第一五号証、原告本人田中正和尋問の結果および前記認定の原告光明の受傷の部位程度、治療状況を併わせ判断すると、原告光明は事故当時修電舎九州営業所に勤務し、年収二五六万六二七二円を得ていたものであるところ、本件事故のため症状固定とされた昭和五九年六月三〇日までの約一八か月間休業を余儀なくされ、そのために失つた得べかりし収入は原告ら主張どおり三八四万九四〇八円となることが認められ、右認定に反する証拠はない。
8 逸失利益について。成立に争いのない甲第一四、第一五号証、原告本人田中ユミ、同田中正和の各尋問の結果および前記認定の傷害、後遺症の部位程度によれば、原告光明は症状固定とされた昭和五九年六月三〇日現在二九歳の健康な男子であり、本件事故がなければ少くとも六七歳までの三八年間は稼働可能であり、年収二五六万六二七二円程度の収入を得ることができたと考えられるところ、本件事故による後遺障害のため労働能力を生涯にわたつて全部喪失したことが認められるので、その間の逸失利益をホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して事故当時の現価を算出すると次のとおり五〇七六万三九四〇円となる(事故後二年から四〇年までとして算出)。
2,566,272円×(21.6426-1.8614)=50,763,940円(円未満四捨五入)
ホフマン係数 40年……21.6426 2年……1.8614
なお原告らは、得べかりし収入の基礎として年齢別給与月額(二九歳)を主張するが、前記認定のとおり現実の年収は二五六万六二七二円(月額二一万三八五六円)であり、これ以上の収入を挙げることができたことを認めるに足る確たる証拠はなく、右主張は理由がない。
9 将来の介護料について。原告光明は生涯少くとも付添人一人の介護を要することは前記認定のとおりである。ところが原告らは、右介護を要する期間を同原告と同年齢男子の平均余命である四六年間と主張する。しかし同原告の前記認定の症状等からすれば同原告が同年齢男子の平均余命と同程度生命を維持しうるとはとうてい認められない。かといつて同原告の余命を認定すべき資料は全くない。そこで将来の介護費用については、ほぼ確定と思われる五年間分を認めることとし、その余の不確実な将来の介護費用については、後記慰謝料額認定の事情の中に含めて判断するのを相当と考える。よつて、前記3項認定のとおり介護料は一日四〇〇〇円と評価しうるのでその額はホフマン式計算法により中間利息を控除した事故当時の現価を算出すると次のとおり五八五万八八三四円となる(介護期間を事故後二年から七年までとして計算)。
4,000×365×(5.8743-1.8614)=5,858,834円
ホフマン係数 7年……5.8743 2年……1.8614
10 将来の入院雑費について。原告光明は前記認定のとおり生涯入院を余儀なくされ、その間少くとも一日あたり一〇〇〇円の雑費を要するものと認められる。しかし将来の入院雑費についても前項と同様原告ら主張のように同年齢男子の平均余命と同程度継続すると認めることはできず、前項と同様これも確実と思われる五年間分を算出することとし、その後の不確実な部分は慰謝料額算定の資料として考慮するのを相当と認める。その五年間分の額(事故当時の現価)は次の計算により一四二万八二〇九円となる(入院期を事故後二年から七年までとして計算)。
1,000円×365×(5.8743-1.8614)=1,464,709円(円未満四捨五入)
11 慰謝料について。前記認定の事故の態様、原告光明の受傷の部位程度、治療状況、後遺障害の程度、および前記将来五年をこえてもなお入院、介護を要する可能性を残している事情等諸般の事情を総合して判断すると、原告光明に対する慰謝料は二〇〇〇万円と認めるのが相当である。
12 原告勇二郎、同ユミ、同正和の慰謝料について。成立に争いのない乙第一九号証、介護料本人田中ユミ、同田中正和の各供述によれば、原告勇二郎、同ユミが原告光明の両親であり、原告正和がその兄であること、子であり弟である原告光明が前記認定のとおり植物人間となり、生涯回復の見込みがないなど、同原告が死亡した場合にも比肩すべき精神的苦痛を受けたことが認められ、以上認定の諸般の事情を総合すると、これに対する慰謝料は、原告勇二郎、同ユミについては各三〇〇万円、原告正和については二〇〇万円と認めるのが相当である。
13 以上によれば、原告光明の損害額は、右1ないし11の合計八九三九万七〇七九円から、原告らの自認する損害の填補額二六一八万七二五八円を控除すると六三二〇万九八二一円となり、被告勇二郎、同ユミの損害は各三〇〇万円、同正和の損害は二〇〇万円ということになる。
七 以上のとおり、原告らの被告原千恵美に対する請求は原告光明に対し金三六二〇万九八二一円、原告勇二郎、同ユミに対し各金三〇〇万円、原告正和に対し金二〇〇万円、および右各金額に対する本件事故の日である昭和五七年一二月一九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却ひ、原告らのその余の被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 綱脇和久)
別紙図面